こんにちは、週二回ペースで映画を観ているダメリーマンです。映画好きの方からすると少ない方だとは思いますが、いつ観ても映画って良いですよね。
私の場合は映画館に行く事も多いのですが、休日に自宅でアマゾンプライムビデオを観るのも至福の時間で良いストレス解消方法にもなっております。まぁたまに眠くなってそのまま寝てしまう事もしばしばございますが、それはそれで良い休日の過ごし方かもしれません。
さて今回もプノンペンネタで続けて行きますが、カンボジア・プノンペンに行ったら必ず行くべき場所だと個人的には思っていた「キリング・フィールド」について纏めてみたいと思います。
キリング・フィールド
歴史の教科書や文書で見られた方も多いとは思いますが、カンボジア・プノンペンにある「キリング・フィールド」はポル・ポト政権下の時に大虐殺が行われた処刑所として、プノンペン以外の場所でも多くのキリング・フィールドが存在します。
その代表的な場所でもあるプノンペンのキリング・フィールドは特に悲惨だった場所として今でもなお忌々しい記憶と記録が残されており、我々人類は決して忘れてはならない場所として、慰霊塔や資料館が建設されました。
カンボジアの観光地というとシェムリアップに目が行きがちではございますが、ここプノンペンの地で約40年前に行われた大虐殺の実態を教科書や資料・映画などで見て知っている気になっていた自分が恥ずかしく思います。
当時カンボジアの人口は600万人に対して300万人の無実の方が処刑されたと言われております。本当に信じがたい事実ではありますが、この事実に目を背けることなくプノンペンに行かれる方で時間のある方は是非「キリング・フィールド」に足を運んでみて下さい。
キリング・フィールドまでの行き方
プノンペンの中心部からキリング・フィールドまでは路線バスは通っておらず、アクセスする場合はタクシーもしくはトゥクトゥクでの移動となります。
距離も歩いて行ける場所ではございませんので一番おススメの移動方法はコスパを考えるとトゥクトゥクになります。
トゥクトゥクは街のいたる所で捉まえる事が出来ますので「キリング・フィールドに行きたいんです!」と言って、そこから料金交渉をして下さい。またホテルのフロントでトゥクトゥクを用意してくれる所もありますので、街中で捉まえるよりかは安心出来るかもしれません。
自分の場合は、ホテルのセキュリティの方が話を進めてくれて料金交渉しました。キリング・フィールドまでの往復で20ドル(USドル)の値段で折り合いをつけお願いしました。これは移動と向こうで待機してくれている時間む含む金額です。
中には待機分の料金は別払いと言ってくるドライバーもいるらしいので、交渉の時に確認しておきましょう。
ガイドブックにも相場では20~25ドルと書いてありましたので、必要以上に値切る事はしたくないので、このぐらいの価格なら問題ないと思います。
プノンペンの中心部からトゥクトゥクで約40分ぐらいの距離にあります。道路が渋滞していると50分ぐらいは掛かりますので、成るべく早めの時間に行く事をおススメします。
プノンペンから距離にして約10kmですが、ランナーの方は決して走って行こうとか思わないで下さいね。途中の道路とか歩道もなく交通量も多い為、走るのはかなり危険です。道路も舗装がガタガタだったり野良犬も多くいますので、たった10kmの距離ですがトゥクトゥクを利用しましょう。
入場料・見学の仕方と注意点
トゥクトゥクで正門の前で降ろしてくれますので、一応降りる時ドライバーさんの顔やトゥクトゥクを覚えておいて下さい。まぁドライバーさんがこっちの事を覚えてくれているので大丈夫だとは思いますが、帰りに乗り間違えない為。
門をくぐると右側に受付がございますので、こちらで入場料を支払います。入場料は音声ガイド混みで「6ドル」になります。この時音声ガイドを何語か?と聞かれますので「ジャパニーズ」と答えましょう。英語の聞き取りに自信のある方は英語でも構わないかと思いますが、日本語の方がよりリアルな声が聴けると思います。
音声ガイドを全部聴きながら、ゆっくり周ると見学に1時間30分ぐらいは掛かると思います。キリング・フィールドの営業時間が8時~17時30分までなので、向かう時は遅くとも14時ぐらいにはプノンペンの街を出発しておきたいですね。
※注意点
慰霊塔は中に入る事も出来ますが、必ず表で靴を脱いでから入るようにして下さい。カメラ撮影も許可されてます。
音声ガイドでも注意を促されますが、まだ地面には遺骨や遺品などが出てくる事もありますので、見つけたりしても拾わないようにして下さい。
キリング・フィールドで撮影した写真
まとめ
この地に訪れてみて今まで知っていたつもりが、やっぱりつもりなだけであって、現地に立ち寄って新たに知る事がどれだ重要なことかを再認識する事が出来ました。
約40年前に起きたこの悲惨な出来事を繰り返さない為にも、今を生きる我々が後世に伝える事もまた一つの義務でもあり、少しでも多くの方がこのカンボジアの地で起きた忌々しい出来事を知る切っ掛けになってくれる事を願いたいと思います。